『世界』7月号に上原元市長への取立て裁判の論文

2012年7月5日 00時49分 | カテゴリー: 活動報告

7/15(日)には、弁護士8人に話を聞く市民集会!

 雑誌『世界』今月号に、法政大教授であり弁護士の五十嵐敬喜さんが、「政治家の不法行為責任とは—国立市損害賠償請求裁判をめぐって」を投稿しています。本裁判が提起している重大なテーマについての歴史的かつ総括的な論文であり、ぜひ、ご紹介したいと思いました。7項目から成っています。

①国立市が元国立市長上原公子に3000万円支払えと訴える ②「暗」の発端 ③政策の変更と損害賠償 ④裁判所が認定した上原個人の「不法行為」とは何か ⑤政治家上原公子の政策実現のプロセスを検証する ⑥M・ウェーバーの「職業としての政治」 ⑦政治家上原公子は損害賠償責任を負わない

 まず、関心を惹起されられる②の「暗」です。ここでいう「暗」とは何か。
 五十嵐先生は、本裁判が、これまでの景観裁判から逸脱し「異変」事態へと拡大延長していると指摘しています。数人の国立市民が「国立市が賠償した金額は国立市が不法行為を行ったのではなく、上原個人の不法行為により発生したのだからその賠償をすべきであるとし、国立市が上原個人に3122万円を請求せよという訴訟を起こし」た。「何とも複雑で奇怪な裁判」になっているという指摘です。

 というのも、景観を守るという政策実現の過程で生じた首長の政策判断において、近代政治においては、その責任は、選挙やリコールで取るのが道筋であり、法的責任を追及されることはあり得ないからです。例えば、石原都政のディーゼル規制や銀行への外形標準課税などによる政策変更によって、既得権益を損なう特定の人や業界が出た場合でも、実現プロセスが民主的である場合、その責任が首長に課されることはないことと同様です。この自明の理を逸脱しているのが、本裁判原告である国立市だということです。

 上原元市長が、民主的な法定手続きを踏んだことは言うまでもありません。景観を守ることを公約に掲げて選挙に当選し、その後、公的な景観審議会や都市計画審議会を経て、地区計画を決定。議会での地区計画条例の制定。このように過程を検証すると、上原元市長個人に責任を転嫁することはできないことは明白です。

 五十嵐論文の結論である「政治家上原は損害賠償責任を負わない」の前に、ウェーバーが引用されています。裁判所は、上原元市長の不法行為を一部認定してきた判断の中心に、首長は「中立・公平」でなければならない点を置いたが、それに対する、政治の古典を使って真っ向からの反論を展開しています。首長は行政の長である前に政治家であり、特定の価値観を持ち、それを遂行するために議会や時に司法と闘わなければならず、その意味で「中立・公平」ではあり得ないという主張です。
 司法には、今度こそ、政治家の資質として「情熱、責任感、判断力」が必要だとするウェーバーの視点、さらに、現在においては地方主権時代の首長のあり方を無視せずに、しっかり判定してもらわなければなりません。 

“こんなひどい話、あっていいものでしょうか”。
 目を引くちらしが市内に配布されています。
集会「国立市民は黙ってられない!弁護士8人から話しを聞く」(主催:国立大学通り景観市民の会)
◆7月15日(日)、夜6時〜 @商協さくらホール

 今朝の朝日新聞(7/4)にも、上原元市長の発言が載っていました。係争中の本件は全国的に注目されています。国立市が個人を訴えているということは、国立市民が上原元市長個人を訴えているということです。
もう一度、国立市民として、問題の裁判に向き合いましょう!