映画「シリアの花嫁」雑感

2009年4月17日 16時50分 | カテゴリー: 活動報告

“境界線”を跳び越える女たち

  目に青葉、山ほととぎす…の季節になりました。皆さまも気持ちのよいお散歩など楽しんでいらっしゃることでしょう。
都内に出たついでに、久しぶりに映画を観てきました。

“「無国籍」状態にある花嫁が、イスラエル占領地ゴラン高原を出て、ひとり、シリアの同民族側へと国境線を越えて嫁いでいく”という内容でしたが、政治的対立の構図をも越えるほど、魅力ある俳優陣を揃え、芸術性と大衆性たっぷりの作品となっていました。さすが、「市民に開かれた映画祭」として名高いモントリオール世界映画祭のグランプリ受賞作です!

とは言うものの、率直なところ、「平和ボケ」している日本人のひとりとして私なども、映画の伏線や外国映画としての民族的特徴など分からことばかりの中で鑑賞したのだと思っています。その中で分かったことは、主人公である姉妹が決断をして、さまざまなボーダーを結果的に跳び越えて、より自由になっていったことです。
しかし「自由」とは簡単に言えないのが、複雑にのしかかる過去の歴史です。

ゴラン高原は、1967年、第三次中東戦争でイスラエルに占領、81年にはイスラエルに一方的に併合されています。姉妹たちが属するイスラム・ドゥルーズ派は、希望すればイスラエル国籍・市民権が取れるけれども、ほとんどの住民はシリア人としての帰属意識を持っているそうです。

映画では、イスラムの伝統にしばられたような保守的は夫、しきたりに厳しい長老たち、国家の官僚制度の腐敗などもたんたんと映されていて、シリア・ナショナリズムに喝采というわけでは決してなく、妹はシリア側へ嫁ぐ一方、姉は、夫との話し合いを付けられないまま、社会福祉を勉強するためイスラエルの大学への入学手続きを済ませました。アラビア語を母語としているドゥルーズ派も、高等教育の面ではシリアではなくイスラエルに依存せざるを得ない現実があるためです。

ともかく、ボーダーを越えようとする姉妹の、遠くを見つめる眼差しは、とても印象的でした。

映画は、ゴラン高原を生きる姉妹を中心に、いろいろな意味の境界線を示していたように思います。人と人を遮る、また人の心と心を遮る、社会を分断する、国家間を緊張させる境界線は、壁高くしてしまうのではなく、自在に交流できる方向がよい、と思いつつ、この日は帰路につきました。